Flowers
Originally uploaded by Kem-La-Soi
気持ちを忘れない様に。
26日に祖母(ばあちゃん)が逝ってしまった。春の検査後の医者の話だと早くて半年長くて一年と言われていたのだが、このタイミングは早過ぎるだろうと4月の多忙さに会いにもどらなかった自分が悔しい。
月曜
翌日、実家に戻って祖母と対面したわけだが、この時点でもう涙がとまらず父、妹の前にもかかわらず泣きまくってしまった。なにせもう一人の母親ばりにいっしょに過ごした祖母なんで。
けれど不思議なもので、沢山の親戚や付き合いのあった方々が来るので物思いに耽り鬱々としてしまうことはない。祖父、父、母も同様で遠方から葬儀にいらっしゃる方との連絡や線香を上げに来る方々への対応に忙しい。葬儀の形式については祖父の意向を優先しようということになっている様子。
弟が帰って来たけれど、祖母との対面にはぼくは立ち会わず。弟が泣くのは間違いないと思ったので。
訪問する人からいろいろ知らなかったばあちゃんの話が出て来る。家では最近はめんどくさいとばかりに話をふってもテキトーな返答しかしなかったのに、デイケアセンターではしっかりと介護士さんたちに家族の出来事を告げていたらしい、等々。家族には意外に話さない事も多いのかもなあ。
初日の夜は、ばあちゃんの横で雑魚寝した。夢に出てくれないかなと思ったけど、出てくれなかった。代わりに深夜だか早朝だかわからない時間からずっと線香をあげながら父親が座っていたなと寝ぼけながら見ていた。
火曜
翌朝父に聞くとばあちゃんが残した短歌ノート17冊を読み出したら止まらなくなってしまったらしい。ゴミ箱にはティッシュが山盛りだったと母親
妹、弟が、短歌集を編集したり、供物のまとめをしたりしている。
夜にアメリカの叔父さん一家が訪問。叔父叔母はデトロイトから、従兄妹はコロンバスから飛行機で。お疲れだが面会後、ばあちゃん作成のマイアルバム、短歌集を見ながら酒。アルバムはすごく俺様編集な感じでばあちゃんの俺様具合を再確認した。結構大胆
水曜日
通夜。朝から親戚が来るのでばたばたしている。ゲストの相手係兼お茶係を勝手にやった。
16時から納棺。納棺はさすがに悲しいよ。
通夜は儀式感が強く淡々と。昔住んでいたところから参列されるかたもいて、感動と懐かしい気持ち。「あらー大きくなって!」とおばあさんがたに沢山いわれる。夜はご飯をやって一通り親戚がそろっている形になる。当然、紹介してもらって始めてわかるという人もいる。夜は式場で夜通しの晩。叔父と弟と妹といろいろばあちゃんについてのゴシップなど。
木曜日
葬式。昼前に食事。告別式(?)やって、初七日の略式もやる。儀式感が強い。ほぼ昨日の通夜といっしょの感じで焼香。
焼香が終わり送り出す。供物の花を棺にいれるのだが、ここはさすがに悲しい。みんな泣いとる。そりゃ泣くわ!最後にさわったばーちゃんのほっぺは柔らかくなってた。死後硬直終わったんね。ドライアイスでひんやりしていた。ありがとうございました。
車で火葬場へいく。炉に入れたあと、ほのぼのした親戚一同の待ち時間。酒など飲みつつ過ごす。時間ですというので降りて行くと、焼かれた祖母の体はかなり少ない骨になってしまった。
戻って食事会をやって解散。
葬儀前の段取りや連絡に忙殺される。親戚が沢山あつまって懐かしかったりして楽しかったりする。葬儀のゆっくりとしたペースの進行で悲しい気持ちに押しつぶされることはない。日本の葬式パワーだなと思った。そりゃ悲しいけど、かなしいのといっしょにいろいろな縁を持って来るのが人間の最後にやる仕事なのかなとも思う。ぼくは大きくやることはないけど、Family Reunionのような感じに親戚は沢山呼んでいいかもねと思った。
いろいろな作法は宗派、地域によって違うので、とりあえず一番厳しそうな親戚に合わせるのが無難だなと教訓。あと死ぬ前にちゃんと意向をつげないと判断が大変そう。うちの場合は祖父がいたんで、祖父の価値観にあわせた。
いろいろ書いたけど、お疲れさまでした、ばあちゃん。
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